先週末は富山で日本株のセミナー、週央には京都に用事がありビジネスディナー後の新幹線で赴き、今日は長野県に用事がいくつかあり日帰りで移動中。忙しくしていますが、5月は天候が概ね気持ち良くて、苦になりません。そうだ明日土曜日は東大五月祭で講演するのだった。移動も活動も多いです。

 さて今日は着物の話。最近、着物にやや嵌まってます。おじ臭!と云うなかれ。日本の在り方が、良く着物には現れていると思うのです。

 例えばお箸とフォーク。お箸は作るのは(フォークに比べれば)簡単ですが、使いこなすにはノウハウが必要です。フォークを作るのは大変ですが、使うのは幼児でも出来ます。浴衣とパジャマも同様。日本は、使う・活用するためのノウハウというか(ソフトウェア、ハードウェアなどの)ウェアが、モノではなく人間にあるのが特徴だと思います。

 着物を着るために帯を結んだり、袴を締めたりする。この帯類の結び方や締め方は、複雑・不思議なようで、ずれず、緩まず、同じモノで違う表現も出来て、収納時にはかさばらずと、とても良く考えられた合理的なもので、興味深く、そして楽しいです。折り紙然り、懐紙を折って様々なものを作ること然り、手先と頭、特に想像力を使い、こんな所のどこかに日本の真髄がちょっとだけ隠れている気もするのです。

 ということで、茶道や着物や、和なモノの見直しに傾倒がちの近頃の私でした。

 一昨日5月8日に、東京大学本郷キャンパスの小柴ホールにて、東京大学応用資本市場研究センターが初めての政策提言を記者発表しました。東京大学応用資本市場研究センターは、昨年私が個人的に(正確には株式会社松本という私の資産管理会社が)寄付を行い、それを基に設立されたエンダウメント型のリサーチセンターで、英語名は UTokyo Center for Applied Capital Markets Research、その頭文字を取って略称をUTCMRといいます。

 

 政策提言の詳細は、以下のリンクから見ていただきたいのですが、簡単に云うと、上場企業の配当金の損金算入を認めよ、というものです。そうすれば配当が増え、株価が上がり、国民年金資産が増え、企業の買収能力も人材採用能力も高まり、日本株に対する投資から円安を止める効果も期待でき、また資産効果から国内消費も増え、日本経済の大いなる活性化に繋がる。

 

 一方企業側に着目すると、経営者は利益を内部留保する理由が減り、なぜなら配当を払えばその部分に減税を受ける訳ですから、少なくとも内部留保をする場合にはその説明を求められ、基本は増配することによってお金が社会に環流して活用(消費や違う投資)されるか、或いは増配の替わりに成長投資にお金が振り向けられるように促され、即ち企業経営者のマインドセットに前向きになるプレッシャーを与え、日本の企業部門が新しい時代に向けて変革していくことを後押しする。そのような提言です。

 

 私は常々思っているのですが、三大経営資源であるヒト・モノ・カネについて、日本ではどれも最適配置されていないにも関わらず、GDP世界第3位もしくは4位であるのは、あたかも鉄ゲタを履いてマラソンをして銅メダルを取っているようなものです。ですからその経営資源をより良く再配置するだけで、日本はまだまだイケると思うのです。

 

 配当の損金算入によって、「カネ」を最適配置に向かわせることを動機付けることは、日本再生に大きく貢献出来る筈です。何よりも即効力で株高を演出し、風景を一変させるでしょう。私はUTCMRではあくまでもアドバイザーに過ぎませんが、その活動を支援していきます!

(東大からの発表)
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/z1701_00003.html
(実際の政策提言レポート)
https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400239903.pdf

 私は元来マニュアル車乗りですが、最近は様々な理由からオートマ車、しかも直近では前輪駆動オートマ車を乗っていました。うー、しかし我慢できない!ということで先週末に中古のマニュアル車を買いまして、ウキウキと乗っています。しかもミッドシップだし。

 

 暫く通常運転はオートマばかりだったので、ブリッピング(シフトダウン時にエンジンの回転数を合わせるべく、クラッチを切った時にアクセルを踏んでコントロールすること)を何度もやったりして、楽しんでいます。ダブルクラッチのメカニカルな仕組みや理由もおさらいして、運転中に、頭の中にエンジンとタイヤの間のトランスミッションが今どう動いているかをイメージし、頭と、両手と、両足を、色々動かしています。

 

 まだ完全に勘を取り戻しておらず、さらにダブルクラッチは元々やっておらず、今回新たにちゃんとやろうと考えているので、前よりもやることが増え、考えることも増え、しかし歳は取っている、ということで、そんなにいとも簡単という訳にはいかないのですが、とてもいい刺激になっています。

 

 明らかに、普段なかった、そして実は過去にも経験していなかったことをしているので、心身共にいい作用が働いているように感じます。運転を目的にしているのではなく、用事があって運転する時に、このように違う時間の過ごし方をしているだけなのですが、かなり最高です。慣れないことはいいですね!

 さて、最後にお知らせです。この私の「つぶやき」ですが、去年から毎週火曜日に書いているところ、来月からは毎週金曜日に書いていくことになりました。ですから次回は5月10日ですね。よろしくお願いします!

 今私は、色々な新しいことを実現させようとしているのですが、それはとにかく私を忙しくします。同時に、「産みの苦しみ」とよく云いますが、思った通りに行かなくて、ストレスが上がることも多くあります。このストレスは、やろうとしていること自体が上手く進まないというよりも、新しいことを実現するために集まった初めての人々との間での調整が足りなくて、何かが上手く行かないストレス、即ち前から一緒にやっていることやメンバーであれば、あうんの呼吸とかある訳ですが、それがないのですれ違ったりしてしまうのでしょう。

 

 それをなくすには、とにかくコミュニケーションしかありません。しかしコミュニケーションには時間が掛かります。私の経験では、コミュニケーションは費やした時間に比例するので、どうしても時間が足りなくなって忙しくなり、更にはすれ違いが起きてストレスとなるのでしょう。うーん、なんとアナログなことか。この時間の問題だけは、デジタルに魔法のように解決することは出来ません。ま、ひたすら長く、そして丁寧に、コミュニケーションを取るだけですね。ということで、いつまで経っても進歩のないつぶやきでした。申し訳ありません!でもそうやって、新しいものを産みたいと思います!

 今、シンガポールに居ます。マスターカードの取締役会で来ています。全部で丸三日くらい、会議・議論・ビジネスディナーが続いていますが、もちろん全て英語です。英語、英語、英語、何もかもずっと英語で。私にとって、いつまで経ってもこれは大きな苦難なのです。

 

 何が問題かというと、英語が分からないとか英語で話せないのではなくて、英語で議論されている内容をきちんと理解することに脳が集中し過ぎて、その先、即ち私からそれらに対して意見を持ってそれを伝えるところに、中々脳の活動が行かないのです。面白いことに、ひとたび自分が話し始めると、頭の中で次々に考えがひらめいたり繋がったりして、ちゃんと意見になるのですが、話を聞いてる間はそのような作用が中々進まないのです。

 

 恐らく、要は脳の作用でのインプットとアウトプットが、日本語で行うように並行してスムーズには中々進まなくて、意識的にそのバランスを変えないといけないように感じるのです。もう何十年も英語を使ってるのに情けないなぁ。でも仕方ない。私の置かれた立場もあるし、このバランスを意識的に変えながら英語の中でも仕事をしていこうと思います。

 縁とは、不思議で深くて長いものです。先日、或るイベントで、或る有名なお寺の方に初めてお会いして一緒に登壇することになり、その後の会食で話が弾み、実は家族の先祖が江戸時代の末期にそちらのお寺で「或る事」をしたという口伝があるのです、とお話したところ、日誌があるので調べてみましょう、となりました。するとなんと、190年前、天保5年の「或る事」の詳しい記録が、紙に墨で書かれた状態で発見されました。これにはお寺さんもビックリ。もちろん私の家族も超ビックリ。先週末は文字通りのお礼参りにそのお寺に伺ったのですが、時空を超えた縁に、本当に感動しました。

 縁とは、偶然のものではなく、綿々とした思いや行いが連なることによって、縁として繋がっているのだと思われます。縁は原因ではなく結果なのではないか。そう考えると、「思い」というものが何よりも大切なのだと知らされます。私は忙しいのが趣味のような人間で、毎日々々常に時間に追われて暮らしているのですが、そしてそれらは恐らく、私の「思い」の為している業だと思うのですが、念のため再確認して、「思い」のために時間を集中するように、気を付けたいと思います。

 東京は春爛漫という感じです。しかし今年のソメイヨシノの咲き方はちょっといつもと違う感じがして、何かしら日照時間や温度の組み合わせが例年と違ったのでしょう。日本中のソメイヨシノは基本全てがクローンですから、同じ並木どころか日本中で同じような傾向が出るのがちょっと愉快です。

 

 さて、桜の季節は新入社員の季節です。私も37年前の昨日、新社会人の一歩を踏み出しました。今私が働いているのと同じ赤坂のアーク森ビルででした。その日のこと、その頃のことは今でも鮮明に覚えています。昔から私の信条は、自分自身を基準にして、毎日ちゃんと働き切ることです。自分のキャパシティに対して100%以上回しきったか。出来れば120%で働きたい。ずっとそう思って働いてきました。毎年120%で働くことを37年間続けると、1.2の37乗は850になるので、素の自分に対して850倍のアウトプットを出すことになります。110%でも、1.1の37乗は34。34倍のアウトプットになります。

 

 昨日の入社式でも同じ話はしましたが、これは私自身に対する呪文のようなものなのです。今年の桜は37年前の桜と同じでしょうか?私は37年前の私からどう変わったでしょうか?そして来年桜を見る時に、私はどう変わっていられるでしょうか?新入社員の頃の気持ちを思いだして、今宵は夜桜でも見に行こうかと思います。

 雨模様が続きます。しかし先週の水曜日・春分の日はいい天気でした。夕日が沈む前、時計を見ると既に午後6時前で、気付かぬうちに随分と日が長くなったことを知りました。お彼岸は切り替え時です。私が親しむ遠州流茶道では茶器の中から抹茶を汲む位置も変わります。暑さ寒さも彼岸まで、とも云います。これから春本番ですね。と思ったら、天候が崩れましたが、これも春に内在するものなのでしょう。

 大相撲春場所では尊富士と大の里という若い新スターが彗星の如く誕生し、日本全体で世代交代が進んでいく兆しを感じました。「お前ならできる。記録じゃなくて記憶に残したいんだろ?」ー照ノ富士が云ったと伝えられる言葉もいいですね。もちろん暗いニュースも常にあるのですが、お彼岸も越えたことだし、いい側に注目していきたいと思います。

 いい側と云えば私の花粉症。還暦にして初めて花粉症を本格的に発症したわけですが、始まったのは二週間前に兄の五十回忌の仕上げに、永平寺に法要に行った時でした。永平寺は杉の森に囲まれており、永平寺が近付くにつれて、花粉症の症状が始まりました。兄は永平寺で永代供養されているのですが、今回初めて、永代供養といえども基本は五十年で文字通り弔い上げで、この場合の永代とは原則五十年であることを知りました。花粉症は、兄からのメッセージなのだと思います。そう考えると、花粉症も愛おしいものです。杉の花粉が収まったら、永平寺に再訪して、また供養をお願いしてこようと思います。

 さて、もうすぐ新年度です。投資の世界も新年度入り。新しい前向きな展開を期待し、或いは自分たちで創っていきたいと思います!

 先週の火曜日にこのつぶやきを書いて以来、たった一週間の間に本当に色々なことがありました。

 

 先ずは水曜日、固体燃料ロケット「カイロス」の打ち上げ失敗。串本の発射場は車の中から遠目で見たこともあり、イプシロンの打ち上げを見に行ったこともある(残念ながら延期で見そびれましたが)私なので、とても残念です。ただ一番の興味は、この類いのロケットの発射について、例えば北朝鮮とかはどのように見たり報じているのか気になりました。固体燃料ロケットですし。

 

 同じ水曜日、衆議院法務委員会では、警察・検察の取調中の被疑者によるメモ取りの禁止は、刑事訴訟法上根拠がないと法務大臣が認め、メモを取ることを強制的に止めることはできないと答弁する椿事(?)がありました。日本は今、色んなところで良い方向に、世界標準に変わりつつある兆しを感じました。

 

 そして翌木曜日の夜から私の鼻・喉周りが怪しくなり、金曜日に遂に、60歳にして初めて、花粉症に本格デビューしました。つらい。。。金曜のディナーは、相手の外国人に後から、いつものようにいいディナーだったね、たまには静かな瞬間を持つのもいいね、と云われる始末。ディナー中、鼻が詰まったりで話をするどころではない時間帯もあったのです。土曜の朝に堪らず病院に駆け込みました。私は何歳になっても新しいことを始めるタチなんです!

 

 そして週明けの月曜日、プーチン圧勝のニュース。こう書いてきても、世の中どんどん変わって来ている中で、プーチンのロシアだけは、何十年も止まっているように見えます。情報統制されることがどれだけ恐ろしいことか。これだけは肝に銘じておきたいですね。

 

 そして今日、遂に日銀がマイナス金利を解除し、長短金利操作も撤廃しました。更にETFとREITの買い入れも終了。予想されていたことではあったし、長期国債の買いオペも共通担保資金供給オペも続けるので、大勢には影響ないでしょう。でもやはり、過去からの決別、新しい日本への変化を感じます。そして日経平均は4万円を回復して引けました。

 

 この一週間、プーチンを除いて、「変化」が目立つ一週間でした。この調子でどんどん変化を続けて行って欲しいですね!

 

 「ゴジラ-1.0」が、米アカデミー賞で視覚効果賞を受賞しました。快挙ですね。おめでとうございます。最新技術を使った超高価なSFXではなく、様々なアイデアで特撮というか視覚効果を実現しての受賞で、日本らしいところもいいと思います。映画は面白くて、私も小さい時からゴジラ映画は好きだったし、とても楽しめたのですが、主演の神木隆之介さんとヒロインの浜辺美波さんがやや戦後感から掛け離れたビジュアルで、そんなアンバランスのところも印象を強くしたのかも知れません。

 さて、話は変わり、先日夜に急に出掛けることになり、相手にディナーの場所を選んでもらったら、かつて私が足繁く通った懐かしのレストランでした。おー、良くここを選んだな、と思って店に行き、馴染みの顔はまだ居るかな?と入店すると、果たして、フロアマネージャーは昔から良く知っている人でした。どうも、久し振りです。実家に戻ったような感じで和やかに食事を進めていると、そのマネージャーが云い出しにくそうに話してきました。実は、もうすぐ閉店するんです。えっーーーーー!まじですか。早速閉店日の数日前の日に、20人の席を予約しました。懐かしい面々と楽しもうと思います。

 私は食べ物屋さんに閉店時に居合わせることが多いです。以前にも書いたことがありますが、古くは高校時代に学校の近くにあった「坂道」という喫茶店。閉店直前に行ったので、店に置いてあった男組全巻をもらいました。そして大人になってからは、「山路」という館野さんという職人さんがやっていたお鮨屋さんに行ったら翌々日に店を閉める、兄弟子である清水さんの「喜久好」も同じ日に閉まる、と聞いて、慌てて喜久好さんにも最終日に詰め込んでもらって最後のお客さんになったり。

 お鮨屋さんと云えば、日本橋にあった未だに私が一番好きな「千八」さんの松下さんが、もう店を閉めると電話をくれて、それから閉店までの1~2ヶ月の間に何度も行って、最後は最終日の最後のお客さんになって箸置きひとつだけ思い出にいただいたこともあります。また、中学・高校の正門前にあった「昌華飯店」に、服部先輩と飲みに行ったら、その日最後の客になり、もう閉めるから帰ってちょうだい、と云われて現金会計して帰ったら、その晩店はそのまま永遠に閉めてしまったり。西麻布の「コロンバ」に久し振りに遅めにふらっと寄ったら、お客さんは他に一組、そのお客さんが帰ると、実はこれで閉店、即ち廃業なんですと告げられたり。

 そして今回の青山の「S」。なんか縁ですね。食べるのが好きだから、こういう巡り合わせになるのでしょうか?或いは頻繁に外食をしていると、確率的にこうなるものでしょうか?お店の人が必ずしもお客さん全員に閉店することを話さないとも考えられるので、お店の人と仲良くなって色んなことを話すからでしょうか。最後の理由が、当たってそうな気がします。これからも食べ物屋さんとは仲良くして、色んな出会いと再会をしていきたいと思います。